里山のハンドメイドの小さな家『久志のさと』
「家は、暮らしの宝石箱でなくてはならない。」
近代建築の巨匠 ル・コルビュジエ
私がハンドメイドで手掛けてきた小さな家作りは、
(暮らしの宝石)を堪能するために行ってきました。
家と周りすべてを含んだ自分に心地よい場所作りです。
中山間の片田舎では、緑に囲まれ、空気が澄み、小鳥の囀りが心地よく響き渡っています。
単純に、私はこれこそがタダで与えられている宝物だと思っています。
それが笹藪であったり耕作放棄地であったとしても、そこから生み出される恩恵に私は光を見出しています。
作物の収穫だけでなく、緑、空気、動植物の声、四季の変化など、生き物達でしか成しえない絶えず変化する新鮮な美しさは、私の心地よい場所作りには欠かせない宝物だからです。
そんな宝物を存分に味わいたくて、
檜林の開拓から整地、建築のほぼすべてを手作業ではじめました。
僅かな資金と相談しながら創意工夫の始まりです。
図面を何度も修正し、柱や壁張り、棟上げ、屋根工事など全部自分一人で完結できる方法を考えて進めていきました。
大変であっても、誰かに手伝ってもらいたい!などと思ったことがありませんでした。
全て自分の思い通りに
全て自分の責任でやりたかったので、
自分の大切な宝石箱を無暗に他人に触れて欲しくなかったからです。
自分で家作りをコツコツやっていると
水を流したり、スイッチ一つで電気が点いたり、
窓を開け閉めするだけでも嬉しくなります。
ちゃんと動いている!ちゃんと点いている!と。
自分で決めて自分でやりだしたことは、
もはや日常の動作自体が宝石そのものでした。
大変だった作業もうまくいった作業もコンチクショウ!の失敗なども、そのプロセス自体が大切な宝石になっています。
これは
わたしにとっての究極の遊びです。
遊びであるがゆえに夢中になり、
夢中になるがゆえに真剣でした。
その原動力は?と人から聞かれたことがありましたが
その時はわからなかったけど、今これを書いていてわかります。
先にも書いた里山がもたらしている恩恵の輝きが私を魅了していたのです。
家を育み、土地を育み、生き物を育んで生まれてくる輝きをまだ見えていないときからずっと見出していました。
それが原動力だと思います。
やがて私の自己満足に関心を抱くパートナーが現れました。私の意図を後押しするように不便な中でさえ手間暇惜しまず足を運び、ともに黙々と作業しています。
彼女にも土地や生き物を育む輝きが見えているかのようにその作業自体を互いに堪能しあっています。
まだ始まったばかりです。
小さな家がなんとか建ったばかりのスタート地点です。
自分に心地よい場所作り
チマチマと、自分達の手足を使い、頭を使い、全身を使ってやっています。